戦国武将シリーズ 第四弾


皆さんおはこんばんちは。 小林です。
まだまだ寒さが残るこの季節。二月なのに雪も降ってきましたね。
体調管理はしっかりとして体調を崩さないようにしていきましょう。
さて、今回の戦国武将シリーズ第四弾の武将は知っている人は知ってるかもしれませんが、私的にも結構好きな武将なので紹介します。

『竹中半兵衛』

1544年 美濃国の国主「斎藤道三」の家臣である「竹中重元」の子として誕生しました。「半兵衛」は通名で、本来の名を『竹中重治』といいました。
美男子だったと言われております。
1560年 父が亡くなり、竹中半兵衛が家督を継ぎ斎藤道三の孫「斎藤龍興」に仕えるようになります。
1564年 主君・斎藤龍興の居城、稲葉山城をわずか約16人で奪取します。
なぜ自分の主君に対してこのような行動に出たかというと、斎藤龍興は酒とおんなにおぼれ政(まつりごと)を放棄していた。なので、堕落した斎藤を諫めるためだったと言います。半年後斎藤に城を返し、しばらく隠棲しました。
1567年 織田信長は竹中半兵衛を家来にしたいと言い「木下秀吉」に勧誘を命じます。それに応じた半兵衛は秀吉の家臣になります。なお、秀吉に(信長の家来になることは断ったらしい)
1570年 姉川の戦いでは、軍師として活躍されたと言われてます。
その後は、小谷城の戦い、長篠の戦い、中国攻めなど様々な合戦で活躍しました。
もう一人の名軍師『黒田官兵衛』との関係もさらっとお伝えします。
めちゃめちゃ仲が良かったらしいです。
1579年 中国攻め中に肺炎で倒れ36歳という若さでこの世を去ります。

とまぁこんな感じですね。
秀吉が天下統一出来たのは、二人の天才軍師がいたからなんて言われたりもしてるので、
軍師っていうのはとても重要だったんですね。
ではまた次回の戦国武将シリーズでお会いしましょう。( ´Д`)ノ~バイバイ


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